サイト案内

カテゴリ:サイト案内 [2019年12月18日 16時22分]
 石川県と福井県の神社について、いろいろな方面から見ていきます。以下、内容を案内。
kikyou icon景観・雰囲気に優れた神社  石川県福井県
tachibana icon自治体別、神社の格式まとめと詳細データ
isikawatizu2
==加賀==
金沢市まとめ個別かほく市まとめ個別
津幡町まとめ個別内灘町まとめ個別
野々市町まとめ個別白山市まとめ個別
川北町まとめ個別能美市まとめ個別
小松市まとめ個別加賀市まとめ個別

==能登==
珠洲市まとめ個別能登町まとめ個別
穴水町まとめ個別輪島市まとめ個別
志賀町まとめ個別羽咋市まとめ個別
宝達志水町まとめ個別七尾市まとめ個別
中能登町まとめ個別   

 
hukuitizu==越前==
福井市まとめ個別越前町まとめ
あわら市まとめ個別 個別
坂井市まとめ個別越前市まとめ
永平寺町まとめ個別 個別
勝山市まとめ個別南越前町まとめ
大野市まとめ個別 個別
鯖江市まとめ個別敦賀市まとめ
池田町まとめ個別 個別
 ==若狭==
美浜町まとめ個別若狭町まとめ個別小浜市まとめ個別おおい町まとめ個別高浜町まとめ個別
noboriryuuhuji icon文化財社殿の装飾狛犬など、神社の見どころ
kuchinashi icon式内社、近代社格(県社郷社)などの格式
kutuwa icon神社庁HPには掲載の無い神社一覧

* 探す神社がある場合は画面右(→)のサイト内検索から。

 神社のよさは、周囲に一線を画する雰囲気と、自然との調和だと思っています。

 コメント、相互リンクよろしく。 ※mixiのURL、コミュニティもあります。
編集

カント全集16 自然地理学

カテゴリ:身辺雑記 [2018年11月04日 20時48分]
http://amzn.asia/d/9O2Lw9K
 
 カントが大学で講義した自然地理学についてまとめたものである。
 前半が地理学についての概念的な総論であり、中盤では海流や地形、動物や植物、鉱物について記述しており、後半は地誌である。
 
 どれほど変なことが書いてあるかと思って買ったが、それほど変なことは書いていない。少し不正確だったり大げさだったりする箇所もあるが、地誌のところを全体的に読むとそれほど現実離れしたことが書かれていない。
 地誌では中国やシャムやインドが取り上げられており、日本は項目として取り上げられていない。その中でシャムでは腐った魚を好むとあるがこれは発酵した魚醤などであろうから奇異ではない。中国については細かく書かれており、彼らが表意文字を用いていること、また天文学について不正確な知識しか持たず日食を正確に予言できないことなどを記してある。
 民族に対する偏見があって、アビシニアのカフェル人が邪悪で醜いと書いてあったり、シベリアの少数民族は怠惰で醜いなどと書かれてもいるが、途方もない化け物がいるなどとはしていない。パタゴニアに巨人がいるということは否定し常識的な大きさであるとしている。
 北米の民族には夢を大事にするものがあり、夢がきっかけで戦争が始まるなど、多少奇異な風習も描かれてはいるがことさら大げさにはされておらず、それほど面白みはない。
 人種についての記述も常識的であり、黒人の肌の色は気候や遺伝によるものとしている。
 
 もっと偏見や現実離れした化け物の記述に満ちたどぎつい見世物的講義かと思ったが、案外と理性的で常識的であり面白みに欠ける。プリニウスの博物誌のほうがよかったのか。
 
 ところで地球の裏側には対蹠人がいるという記述を読みたいのだが、それはどの本に書かれているのか。アウグスティヌスの神の国の中にあると検索で出てきたが、だとしたらどの部分にあるのか。自分の中では頭足人のようなものが走り回っているのが対蹠人であるという印象があるが、これはどこから出てきたものなのだろうか。
コメント (0) /  トラックバック (0)
編集

失われた団地を求めて

カテゴリ:身辺雑記 [2018年11月03日 20時05分]
 団地には興味がある。だがそれは決して優れた近未来的なデザインのよさでもなく、住む人々の活気と未来への期待に満ち溢れた空気でもなく、もっと別のものが興味の芯にある。それは何かというと、何かが終わりつつあるという感触になる。
 そのためには決して建造間もない団地やリフォームがなされた団地であってはならない。また、あまりにも廃墟化したものや、途上国のスラムのように違法な建築物や居住者に満ちたものであってもならない。
 かつてはそこに善意やものごとを改善する秩序への志向、おもいやりの心などがあったものが、かすかな痕跡は残しているものの消えかかっているという一時がもっともよい。
 
 団地という共同生活の場にあって長年なされた、幾人かの人生をよくしようとする人間の盲目的な善意は無駄だったのだろうか。おそらくその多くは実を結ばず徒労と惰性の中にあっていつか消えていってしまったのだが、その軌跡は当人を見ずとも、すすけた壁や、端がすりきれたままの掲示板の中にごくわずかながら読み取ることができる。塗装がはげてしまった遊具は、何人かの人生の中でよい意味を持って思い出されることができているのか。
 
 不幸さを見つめるとき、直接的に人間を見たり聞いたりすることはよいものではない。あまりにも直接的過ぎて自分の中にとどめて考えるには意味や刺激が強すぎるからだ。ごくわずかに残されたしるしを日常のどこから見つけることができるのか、そのような場所を探し出し、よく見つめて考えることは、自分の人生のなかみをみつめなおすことにつながる。
コメント (0) /  トラックバック (0)
編集

二度と来ない

カテゴリ:身辺雑記 [2018年11月01日 21時39分]
 昔から自転車にばかり乗っていたのだが、別に自転車が好きだから乗っていたわけではなく、単に時間が大量に余っていたから乗っていた。 自転車は移動手段としてよりも、時間を潰すための道具として活用できる。傾向としては、南と西に行くことが多かったといえる。
 なぜか、北や東に行くと、気分が重苦しくなる。地域の特性として、南が開発途上地帯であったので、人家がまばらになる傾向が嗜好と合致したのかもしれない。それと、南の方が平地だったので、それの影響も考えられる。山地に行くと気分が重苦しくなる。
 
 自転車で走る醍醐味は、個人的に言えば、景色を鑑賞することや、体を鍛えることや、爽やかな汗を流すことにあるのではなく、むしろ、殺伐とした感情を養うことにある、と感じる。
 
 夜の7時ごろに、自宅から数十キロ離れた、見知らぬ都市のモスバーガーの座席に座って、オニオンリングを食べ、コーラを飲んでいると、かなり不安になってくるし、前途に徒労と殺伐感しかない、という感じが迫ってきて、独特の味わいがある。
 モスバーガーから出たら、車が大量に通る国道沿いを、数十キロも走って帰らなければならないのだが、その道の中途には楽しみは存在しない。夜中で暗く、景色の鑑賞のしようもないし、自宅に帰っても深夜で、寝るしかないから。
 しかも、これが車だったならば、車の装甲によって庇護されることや、カーステレオを鳴らすことにより、多少殺伐感を軽減できるのだが、自転車であれば、外気に晒され、気を紛らす娯楽も存在しないので、いっそう殺伐感が強まる。
 バイクであれば、疾走感を感じることが出来るだろうが、自転車であれば遅々として進まない道のりに苛々させられるだけである。
 そのような寒々とした感情を涵養する道具として、自転車は非常に有用といえよう。
 
 自転車で遠くに出かけることにどういう興趣が在るかといえば、もうひとつある。
 
 自転車で遠く(自宅から数十キロ離れた)の住宅街の公園などに出かけ、そこでしばらく立っていると、「もうここには自分の生命がある限りでも二度と来ない」ということを頭の中で考えられる。
 実際適当に選んだ道筋を通って適当にやってきた住宅地に、一生のうちでもう二度と来る事はない。
 それはごくたまにしか考えられないし、いつも見知らぬ土地で感じられる、というわけでもないが、それを考えられているときは、自己の有限性と人生の短さ、そして全く顧みられないような景色に「二度と来ない」という感情を加えることによって非常に得がたいものを見ているような気持ち(なにしろその景色は一生のうち一回しか見れないから)、を味わえる。
 
 たぶん一生自分はナイアガラ大滝もグレートジンバブエもトンブクトゥも見ないのだが、その代用物として自分の行状を見つめていく。
 
(2007年04月11日21:21 + 2007年07月02日23:06)改
 
コメント (0) /  トラックバック (0)
編集

t

Author:t
男性。詳しくは自己紹介で。
mixiの所在
にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 石川情報へ
にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 福井情報へに参加中。

Powered by / © Copyright 石川県と福井県の神社 all rights reserved. / Template by IkemenHaizin