大瀧神社・岡太神社 (越前市大滝)

カテゴリ:越前市 [2011年02月27日 10時53分]
1 情報
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福井No.164
名称大瀧神社・岡太(おかもと)神社
場所福井県越前市大滝13-1、14-1
社格岡太神社=式内社論社(越前国・今立郡・岡本〔オカモトノ〕神社)、
大瀧神社=県社(S3.11.13)
文化財等×国指定 下宮本殿拝殿一棟及付属文書図面
?〃 大杉
?〃 せんまい桜
?〃 ブナ社叢林
?町指定 奥院本殿
×〃 木造獅子頭狛犬
×〃 木造十一面観音坐像
?〃 (岡太神社)本殿
規模面積大規模 大瀧神社=9267.75㎡、岡太神社=3490.90㎡
紋章大滝神社=五三桐imadateootakimon 燈篭に、 岡太神社=葵imadateootakiokamotomon 銅馬に
参拝月2010.5
社叢分類Ba
参考文献福井県神社庁『御大典記念 福井県神社誌』H6、620頁
式内社研究会『式内社調査報告 第十五巻 北陸道1』皇學館大學出版部S61、322頁


2 雑感

個人的感興☆☆+
 山上に奥宮があってこれは里宮、岡本神社は製紙業の神様、と書いてある。社叢の木がでかくて雰囲気はよい。社殿彫刻は、やりすぎ。

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 2の鳥居

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 境内

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 社殿
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八幡神社 (福井市片粕町)

カテゴリ:福井市 [2011年02月26日 17時13分]
1 情報
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福井No.163
名称八幡神社
場所福井県福井市片粕町61-49
社格村社
文化財等
規模面積中規模
紋章katakasuhatimanmon1 katakasuhatimanmon2 両方とも拝殿屋根に
参拝月2010.5
社叢分類Cc
参考文献福井県神社庁『御大典記念 福井県神社誌』H6、702頁


2 雑感

個人的感興☆
 川沿いの高台にあって風通しがよい。木が大量に生えていなくても雰囲気がよくなることがわかる。

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 境内から

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 拝殿

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 境内から
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大洗磯崎神社 (朝日町乙坂)

カテゴリ:越前町 [2011年02月25日 23時02分]
1 情報
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福井No.162
名称大洗磯崎(おおあらいいそざき)神社
場所福井県丹生郡朝日町乙坂12-24
社格村社(M12)、神饌幣帛料供進神社(T3)
文化財等
規模面積中規模
紋章ooaraiisozakimon 六剣輪宝 拝殿屋根に
参拝月2010.5
社叢分類Bc
参考文献福井県神社庁『御大典記念 福井県神社誌』H6、656頁


2 雑感

個人的感興☆
 住宅地の中だが意外なほど高いところに社殿がある。

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 2の鳥居

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 拝殿

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 境内
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2011.2.20

カテゴリ:サイト運営 [2011年02月20日 23時10分]
 最近は学問的な集まりに出るなどして、知的分野に対する関心が高まった。それを参考としてこれからの方向性を考えたい。

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【1】確かに自分は800社の神社をまわって撮影したが、その大部分に資料性はない。資料性はないとはどういうことかというと、建築の細部を確認できるほどの解像度がなく、また特定のもの(狛犬など)にこだわって撮影したということもない。趣味として集めたので、そのあたりの価値は低い。

【2】自分が考えようとしている寂寥度数や没場所性といった概念は、どのように扱うべきなのか。とりあえずそのような場所を集めるということが考えられる。漁港や団地の写真を撮影すべきなのか。また、音の測定や通行者の測定などもすべきなのか。
 データを、規則に沿って集めなければならない。方針が薄い情報を大量に集めても組織だったものにならない。ノートに線を引いていくつかの項目を作り、それを埋めていきながら写真と併せて集めるべきなのか。

【3】ものをあつめることによる他者との関わりの少なさを自覚する必要がある。他者とのかかわりの中で自分の位置づけをする手法(女性と付き合いがある、比較的難易度の高い資格を得た、など)をかなりの人間が取っているが、それに対置される形で、ものをあつめることによる位置づけがありうる。ただし、それは通常の位置づけに対して対人関係が薄く、社会で評価されにくいため、個人的な意味合いが強い。
 またおそらく、当人にとっても代替的なものでしかないため、当人も常に疑問を持つことになる。

【4】無駄さを自覚してあきらめつつやる必要がある。この、寂寥度数とか没場所性というものは、社会的に役に立たない、忌避される分野を敢えて集めるので、社会の役に立つ という考え方とは敵同士になる。それが何の役に立つのか という問いに対しては、常に 役に立たない と答えることになる。それは単にそう答えるのではなくて、役に立つものばかりを求める風潮に対する反感を込めて答える必要がある。

【5】空間に対する個人的な感興や美意識を整理するものであって、社会の役に立てるために作るものではない。むしろ敢えて役に立たないものを目指す必要がある。意図的に、役に立たず、社会の改善や進歩といった方向性と逆向きに作る必要がある。
 それがこれから自分の社会生活上、役に立つかというと役に立たず、むしろ邪魔になる。


 最近ぜんぜんフィールドワークができていないので3月は反省してやりたいと思う。ただ、まだあまり方向が定まっていないので集めようがないというのがある。
 ものをあつめるときに必要なことは二つで、①短期間に、②大量に、集めることが大事である。これは、その報告を受けた者に対して、異常な労力が注がれていることを知らせ、少しでも驚かせるためで、ロケット花火やネズミ花火に近い。


 あと、おそらく自分に十分な学問的研究をするだけの能力はないので、コンパクトにまとめることが必要になる。
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Solstice

カテゴリ:身辺雑記 [2011年02月07日 21時54分]
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順逆 二門あり

カテゴリ:身辺雑記 [2011年02月05日 22時10分]
 書く内容が尽きてきたので昔書いた文章を貼るが、これは2007年03月09日19:53にmixiに投稿した物で、ここに既に、今とりあげようとしている没場所性や寂寥度数といった概念と類似のものが見られる。つまり4年前からあまり変わらないということ。あとmixiの所在を知りたかったらコメントかいてください。

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 神社が割りと好きだが、それ以外にも好ましい場所はある。個人的に好きな場所をいくつか挙げてみると自分の嗜好が明らかになると思う。

 給水塔はどこにあってもわりと良い感じ。団地の中の給水塔も好きだが、それはいくつかに分類できる。団地の中央部に建っている場合と、団地の外れに建っている場合である。どちらでもよいのだけれど。
 曇った日曜日の午後に給水塔の前に腰掛けてヒビの入った塔をじっと眺めていると段々悲しくなってきて少し楽しい。

 寂れたショッピングセンターも良い感じの場所である。二階の専門店がつぶれ、その跡地がなおざりなゲームセンターになっているのがなかなか良い。
 どこから持ってきたのか不明な古いゲーム機を適当に配置している場所に、以前はきっちりと品物を並べ、活気があった店が存在したのだ、と思うと無常を感じる。

 駅前に活気がない小さな駅も楽しい。平日の夕方などに、大して人の出入りがない駅前に立って、日が翳ってくるのを見ていると、人生がはかなく感じられる。
 そうして、その後、駅前の食堂、たとえば中華料理屋、日本蕎麦屋など(客は一人か二人、その寂寞とした感じを紛らわせるためかテレビがついている)に入って何か食べるコースを取ると楽しい。チェーンの飲食店に入ると、せっかく感じられていた人生のはかなさが、明るい声の挨拶のせいで立ち消えてしまうから注意しなければならない。

 逆に、ファッションビルやコンビニ、チェーンの喫茶店などに入ると苦しい。
 特にファッションビルなどは洗練・進歩・好転を強要する空気が内部に流れているので苦手。

 おしなべて退歩・停滞・なげやりさ、などを感じさせる場所の方が好きな気がする。好きというよりもそこにいると楽であって不快さを感じない場所であると思える。そういう傾向の場所の情報を収拾する趣味でも持とうかと思う。

(2007年03月09日19:53)
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失敗した

カテゴリ:身辺雑記 [2011年02月03日 21時35分]
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 人が何かをなすときは天の時、地の利、人の和が重要だという話があって、有能な場合はそこらの機微がわかるそうです。

 こんかい懇親会がキャンセル続出で瓦解しそうなのは、天の時がなかったということと、あと人望がなかったというところが絶妙に作用して、今日だけでキャンセル2件、これからもっとキャンセルが増えて最終的には2人になると思われます。

 これで人望があれば、もっと集められたが、人望がないのがまずかった。あと、需要がなかったのが最大の原因で、人望がなくても需要さえあれば自然と人が集まるはず。

 その需要を見誤ったのが間違いだった。

 あと今回得られた教訓があって、決して誰も信用してはいけないということ。「協力します」といっておきながら、「手違いでバイトが入って」などの即席のいいわけを考えて撤退したのが4件以上あったので、

 「協力します」

 という言葉は、50パーセントしか信用してはいけない。「(自分にとって好都合なら)協力します(という姿勢をみせないこともない)」という程度に深読みしないと、裏切られることになる。

 また、自分の性質からして返信がこないと大変に苛立ち、(嘘の理由で)キャンセルされるとものすごく腹が立つ、ということがわかったので、幹事に向かないとわかった。嘘の理由でキャンセルされるくらいなら、「人の集まりが悪いから」とか「面子が気に食わないから」など本心をメールされた方が腹が立たない。

 世の中の暗部を見た思いがしました。あと誰も信用できないとわかった。
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イーフー・トゥアン『空間の経験』

カテゴリ:普遍的なこと [2011年02月02日 22時44分]
イーフー・トゥアン『空間の経験』

(1) 内容
・場所を人間の経験から見る。人間の種類によって、把握している空間の感覚が違う。たとえばエスキモーの男性は、海岸線を重要視して脳内に留め、空間を把握している。
・客観的な地図とは別に、人間はそれぞれ経験を基にした空間把握を持っている。それを地図に書き表すとすれば、自分と関係のある特定の対象を主に取り上げた地図になる。
・特定の人間に対して重大な意味を持つ場所は他人にとって意味を持たない。
・場所に対する経験を言語化しようとすると、使い古されたありきたりな表現になってしまう。それは経験を正確に反映せず、月並みな印象を与えてしまう。
・文学はそれらの、個人的な場所への経験を正確に描写しようとする。
・「場所」とは個人的な経験が濃密な価値を持っているところで、当人にとってそれが重大な価値を持つ場合、そこに「場所愛(トポフィリア)」が発生する。

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(2) 感想
・個人的な経験を尺度にして場所を表現するということが大事。
・一般の地図に示された客観的な数値のみではなく、「特定の個人に対して強い働きかけを持つ」場所を表した地図作りができる。
・場所と関係する経験を描写する際、描写力の不足によって月並みな表現になってしまう。「風光明美」「山紫水明」「住みやすい」「寒い」「明るい」など。そうではなく、個人的な経験を正確に反映した描写ができるとすれば、それは文学作品を模範とすることによる。定型的な表現しか使い得ない場合、空間描写能力が低い。
・ただし、文学的描写を使わなくても、数値で場所の性質を明らかにし、個人的な経験との関係を描写できるのではないか。自分の趣味に合う場所に関連する数値(緯度経度・温度・湿度・交通量・日射量・地価・人口密度・・・)をさまざまに取り出して、他の場所と比較するなど。
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Author:t
男性。詳しくは自己紹介で。
mixiの所在
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