江戸時代の百姓の生活について

カテゴリ:身辺雑記 [2010年11月05日 22時52分]
 神社と関係ないけど最近調べていることについて少し書きます。調べているのは江戸時代の百姓のことです。百姓という言葉を使うのはそうしないと江戸時代の実態を表せないためです。ここで百姓を農民と置き換えてしまうと、農業以外の漁業や林業、鉱業で身を立てていた人たちが抜け落ちてしまい、実態を把握できません。それに平成18年の東京書籍の教科書にも、「百姓」という言葉が使われています(92頁ほか)。

 さて、みなさんは江戸時代の百姓はどのように生活していたと思いますか。規則に縛られ、役人の横暴に耐えてもっとも苦しい生活を送っていたというイメージを持っていますか。それとも自然の恵みを得て、文化的にも豊かに暮らしていたと思いますか。

 前者は50年前の研究のイメージで、後者は最近の研究のイメージです。中学校の教科書記述の変遷をたどることで、このイメージの変遷を把握できます。昭和38年の東京書籍の教科書では、百姓の生活は「もっとも苦しい」と書かれています。それは47年度、59年度の教科書でも変わらず、「もっとも苦しい」の一文があります。ただし、平成9年版ではその記述が削られています。このように、教科書における百姓の生活の記述は、ひたすら苦しみを強調するものから、そうではないものへと移行しています。

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 では、百姓の生活は苦しいものというよりは、豊かなものとイメージづけるべきなのでしょうか。しかし、豊かな一面ばかりを強調することも正しくありません。百姓の生活は確かに50年前の研究が描いたほど苦しくはなかったかもしれませんが、やはり統制のもとにあったことは確かなようです。百姓の生活には楽しみや文化もあったが、統制にも縛られていた、と両面の把握をしておくことが重要です。

 また、江戸時代といっても長く続いたから、その中の百姓の生活すべてを一様に把握するのは間違いです。17世紀は新田開発や技術の向上があって、生産力が上がりましたが、農民の生活は苦しかったそうです。対して、18世紀後半には農村にも貨幣経済が浸透してきます。その流れの中で成功したものは豊かな生活を享受できましたが、失敗したものは小作人になったり都市に出ていくなど、悲惨な生活を送りました。このように、江戸時代といっても前期と後期で大きく農村の様子がさまがわりするので、時期ごとに別の理解をしておくことが必要です。

 まとめると、こうなります。
(1) 百姓の生活には文化的な側面もあった。しかし、厳しい統制に縛られていた。
(2) 江戸時代の前期と後期では農村の状態が違う。18世紀後半には階層分化が進んだ。

 「百姓」という言葉を使って、農村以外の居住者をも含んだのに、本稿では農村のみを詳しく取り上げることになりました。これは、農村以外で生活していた百姓の実態について、まだ自分が調べていないためです。



※参考文献
百姓の力―江戸時代から見える日本百姓の力―江戸時代から見える日本
(2008/05)
渡辺 尚志

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 百姓の生活について、いろいろな面から最新の研究を紹介している。農村で俳諧が流行ったことを取り上げ、文化的に豊かな生活を送っていたとする記述が印象的だった。

近世農民生活史 (歴史文化セレクション)近世農民生活史 (歴史文化セレクション)
(2006/09)
児玉 幸多

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 初版は1957年。『百姓の力』のあとがきで、江戸時代についての必読書として紹介されている。本書で記述される農民の生活は、牛馬のごとく働き、役人の横暴に耐える、といった悲惨なものである。解説で佐藤孝之が、本書の内容は基礎的なものなので今日でも通用するとしている。また、豊かさを強調する最近の風潮に対する警鐘として、農民が統制に縛られていたことを忘れてはならない、とあった。
 確かに豊かさばかりを強調すると偏った印象を持ってしまう。やはり現代よりも厳しい統制に縛られていたことを忘れてはならない。
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