『門前町史』(門前町史編集委員会編・門前町発行S45)の47頁に、「能登国鳳至郡八ヶ郷神名記」という資料が引かれていた。そこに掲載されていたものを元に、惣社の存在形態についてまとめてみたのが上図である。
門前町では、鉄川大明神(現在の
諸岡比古神社 (輪島市門前町道下))が八ヶ郷108ヶ村の惣社だった。その下に、例えば、仁岸庄21ヶ村の惣社として黒髪神明宮があり、また、志津良庄12ヶ村の惣社として、日吉山王宮がある、という形である。
ここで疑問なのが、資料中で、郷という言葉と、庄という言葉が、どうやら同義として扱われていることである。8つの惣社は、全て○○庄惣社と書かれているが、それらの上に立つ鉄川大明神は、「八ヶ郷之惣社」と書かれている。これは、郷と庄が同義と見てよいのだろうか。素人なので、江戸時代の行政区分についてよくわからない。GoogleやWikipediaで調べてみても、江戸時代の行政区分について判然としない。詳しい方は、郷と庄の区分など教えてください。
門前町の惣社について書かれた一覧があるということは、他の地域にもおそらく同じようなものがあるだろう。それらの文献に当たって、県内全域の惣社一覧を作る、という作業は既になされているのだろうか。ま、学者の仕事じゃなくて、素人の余技なので、はなはだ不案内である。
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大学のゼミの教授によると、学者は50になるまで、基礎的な資料を読み続け、その大体の内容を頭に入れて、それでやっと「若手」研究者として認められるのだという。それにくらべると、所詮、専門的な訓練を受けていない素人が二次資料を読み齧ったり、一次資料の欠片を見たところで、できるのは無価値なものに過ぎない。だからこの記事の惣社についての記述も無価値なものだ。
学者から相手にされていない無価値な資料の一部を読み齧って、それを恣意的にツギハギして出版すればトンデモ本として扱われるし、専門的な訓練を受けようと思えば、寿命が足りない。素人の学問はそういう問題を孕んでいて、とても「生涯学習」と手放しで肯定する気にはなれない。
それを踏まえたうえで、素人の学問をする際には、一種の諦めを持ち続けることが必要だと思う。