奈豆美比神

カテゴリ:祭神 [2009年10月13日 19時00分]
nazumi2
No.3
神名奈豆美比神
吉田家本では「ナツミヒメ」、現在は「ナヅミヒメ」
関連社名奈豆美比神社 (志賀町安津見)
備考


1 記載の収集
 記載は適宜、旧字を新字に改めています。

一 奈豆美比神社 式内一社、同庄(※引用者注 加茂庄)内安曇村鎮座、祭神安曇氏祖神豊玉媛命、今称鴨大明神、(1)


神名帳書入本ニ、奈豆美は安曇也と註ス、能登誌頭註ニモ、奈豆美比は安曇姫ニテ、綿津見神の御子豊玉姫命ナリ、此神ノ鎮座シ玉フ故ニ、邑名ヲ安津見村と称スト、一説ニ、往古此地ニ安曇氏ナル人居住セシ故に村名トシ、社ハ其氏神ナリト云、但徴スヘキ旧記等伝来セスト雖、右等ノ古説ニ拠レハ、確証トスルニ足レリ、(2)


奈豆美比神は安禰姫にて、海神豊玉姫神なりと。故に今考えるに古事記に、海神豊玉毘売。神代紀に、彦火々出見尊、因娶海神女玉姫。仍留住海宮。已経三年。と見え、其一書には、忽至到海神豊玉彦之宮。とも、また豊玉彦遣人間曰云々。因以女豊玉姫妻之。などあれば、海神豊玉彦の御娘なり。姓氏録に、安曇宿禰海神。綿積豊玉彦神子穂高見命之後。とありて、安曇氏の祖神なりけり。

是も此国に安曇の氏人の居たるから祠りたる神社にや。
(3)


字安津見に在り、村社にして豊玉姫命を祭り、式内社なり、

社伝に拠るに、上古豊玉比命当大神は姫神三柱と桃の木船に乗りて、当国に着船し給ひき、此処を桃が浦といふ(※割注 今本郡の海辺に百浦村ありこれ桃浦の遺ならん)時に世草昧に属し、土民蠢愚にして山野開けず、田穀登らず、多くは鳥獣魚介を食とす、妖異の徒常に窟居して凶暴を恣にし、庶民寝食を安んぜず、その窟居の跡今に存するものあり、是を以て大神は矢居姫倉多姫命と共に今の地に、又多林姫命は西山に行宮を作り給ひ、先づ窟居の諸妖を膺懲して之を訓誡し給ひしかば、其の神徳に服して、山野次第に開け人民蕃殖せり、之を久しくして大神は当世国に帰り給はんとて、姫神三柱を此の土に留め、後世を鎮護せしめ給ひき、蓋し当大神を奈豆美比命と尊称し奉るは、大神窟居の諸妖を平定し、諸民を鎮撫し給ひし神徳を嘆美し奉りし名なりといふ、

又中古までは毎歳妙齢の美女を人贄となす例ありたりといふ
、(4)



◇以下より転載
(1) 『加能越式内等旧社記』(森田平次が白山長吏所蔵の古写本を謄写、明治前期頃)
所載は『神道大系 神社編三十三』神道大系編纂会・編/昭和62年 神道大系編纂会・発行 中の「加賀・能登國」8頁
(2) 『石川県神社誌(加賀能登式内神社等調書)』森田平次・著/明治7年 より
所載は『神道大系 神社編三十三』神道大系編纂会・編/昭和62年 神道大系編纂会・発行 中の「加賀・能登國」62頁
(3) 『能登志徴 上編』152頁 森田平次・著/昭和13年 石川県図書館教会・発行
(4) 『石川県羽咋郡誌』920頁 日置謙・編/大正5年 羽咋郡役所・発行

◇その他参考文献
※ 『式内社調査報告』262頁 式内社研究会・編/昭和60年 皇學館大學出版部・発行
※ 『石川県神社誌』283頁 石川県神社庁・編かつ発行/昭和51年
※ 境内の石版「奈豆美比神社の由緒」 田中外余成・著/設置年月は記載なし
※ 石川県神社庁HP内 奈豆美比神社

2 所感

 『加能越式内等旧社記』、『石川県神社誌(加賀能登式内神社等調書)』、『能登志徴 上編』、『石川県羽咋郡誌』の4つは祭神を豊玉姫神としており、現在の石川県神社庁HPでも豊玉毘売命としている。特に『能登志徴 上編』で森田平次は、豊玉姫神は安曇氏の祖神であるので、古代に海女部を統率した安曇の氏人が当地に住み着いたものと見ている。

 これに対して、『式内社調査報告』では、「元来、社名にいふ奈豆美比は奈豆美村に祀られた地方神だったのである」として、豊玉毘売は後世になって祭神が中央の神話に結び付けられたものと見ている。また、当地の名称、安津見は奈豆美の転訛であって、安曇氏と結びつけるのは付会であるとしている。

 そして、明暦2年(1656年)に安津見村の庄屋等が領主土方伊賀守に提出した「生宮由来明細冩」から、「祭神は天子様の姫君で、奈豆美姫及び多林姫・矢居姫・倉多姫の四姫が些細あつて桃の木の船に乗つて桃の浦(※引用者注 百沼比古神社 (志賀町百浦)がある百浦)に着岸した。そのうち多林姫だけは大坂村に留まり、他の奈豆美姫等はこの地に鎮まり給うたので奈豆美村、安津見と名付けたとある。」と引いて、これを古伝であるとしている。この話は『石川県羽咋郡誌』に引かれている話と同一だろう。

 当国に住んだ安曇氏の祖神と見るのが正しいのか、それとも奈豆美村の地方神と見るのが正しいのか素人では判断できない。だが、桃の木船に乗ってきた、という独自の話も伝わっているし、当地の地名はもともと奈豆美だったということなので、多分当地独自の神ではないかと思う。

 本当はここで、地名の変遷を調べて、「生宮由来明細冩」の原典も調べるのが、より正しい勉強だと思うが、そこまでできない。『式内社調査報告』に引かれていた他の引用文献として、度会延経の『神名帳考証』、伴信友の『神名帳考証』、『特選神名牒』がある。これも原典に当たるべきだが、そこまでは今はできない。

 他に当社の神事や祝詞を調べてみたり、神職に聞き取り調査をすればもっと理解が深まるはずではある。やるべきことはいろいろあるが、したいかというとしたくない。
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