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天日陰比神

カテゴリ:祭神 [2009年10月15日 19時00分]
amehikagehime1
(A) 天日陰比神社 (中能登町二宮)

amenomiyakohun1
(B) 天日陰比神社 (中能登町西馬場)

No.7
神名天日陰比神
九条家本、武田家本には「アメヒカケ」、『神祇志料』は「アメノヒカゲヒメノ」
現在は「アメヒカゲヒメ」
関連社名(A)天日陰比神社 (中能登町二宮)、(B)天日陰比神社 (中能登町西馬場)
備考(A)社の現在の祭神は屋船久久能智命・大己貴命・應神天皇、
(B)社の現在の祭神は、弥都波能売神

1 記載の収集
 記載は適当に旧字を新字へと改めています。

(A) 天日陰比神社 (中能登町二宮)

◎二ノ宮

此村天日陰比神社立給ふ。則二ノ宮大明神と云。神主船木氏也。其昔天子に唖の姫宮ありしが、此石動山へ籠り給ひしを祭り奉りし御神体也。
(1)


天日陰比神社 式内一座、朝日庄芹川村地内勝山鎮座、故称嶺上社、蓋中古乱世、社殿廃頽、神官・神人等悉散乱、依之合併ニ宮相殿祀之云、(2)


天日陰比神社
鹿島郡二宮村二宮社
同郡西馬場村等入合地雨乞社
右二宮村等ノ両社、式ノ天日陰比神社ナル由伝言シ来ルト雖、両社共口碑ノミニテ旧記等ノ確証モ無之、故ニ決兼候、
(3)


能州能登郡二之宮村二之宮明神、開闢者人王拾代崇神天皇、年数凡千七百七拾余年ニ罷成候、峯之社ハ天日比と申候、神前流之川ヲ天日川と申候、神前之前山ヲあまこ谷と申候、

貞享二年九月十五日
(※引用者注 1685年10月13日) 能州能登郡二宮村ニ宮明神神人 舟木若狭守(4)


○二宮神社 二宮村。○当社は今二宮明神と称す。

能登誌に、二宮大明神は、昔天子に唖の娘宮おはしまし、石動山に籠り給ひしを、祭奉るといひ伝ふとあり。此は元より処の里諺にてみだりごとなれども、
(5)

(B) 天日陰比神社 (中能登町西馬場)

○文化十四年(※引用者注 1817年)郡方調べ書きに、西馬場村に雷筒峯と唱申嶺有之候。式内天日陰比神社有之候。

○祈雨宮 貞享二年
(※引用者注 1685年)石動山神主清水等由来書に、西馬場・東馬場・上村三ヶ村之惣社祈雨宮。神体闇龗天日陰比神社之由に御座候。此霊地を雷筒峯とも又亀山とも申候。此山の姿自然に亀二つの姿にて御座候。

上古天子より祈雨宮を此処に勧請之由にて、

社号帳に、龍雲天日陰比神社と記載し来る故に、従前二宮の神官と式社の争論に及べり。但し互に証拠なしといへり。
(5)



◇以下より転載
(1) 『能登名跡志』96頁 太田頼資・著/安永6年 日置謙・校訂/昭和6年 石川県図書館教会・発行
(2) 『加能越式内等旧社記』(森田平次が白山長吏所蔵の古写本を謄写、明治前期頃)
所載は『神道大系 神社編三十三』神道大系編纂会・編/昭和62年 神道大系編纂会・発行 中の「加賀・能登國」10頁
(3) 『石川県神社誌(加賀能登式内神社等調書)』森田平次・著/明治7年 より
所載は『神道大系 神社編三十三』神道大系編纂会・編/昭和62年 神道大系編纂会・発行 中の「加賀・能登國」71頁
(4) 『加賀能登神社由来書上』(神道大系編纂会が加賀藩の保有資料を編纂したもの)
所載は『神道大系 神社編三十三』神道大系編纂会・編/昭和62年 神道大系編纂会・発行 中の「加賀・能登國」271頁
(5) 『能登志徴 上編』304、285頁 森田平次・著/昭和13年 石川県図書館教会・発行

◇その他参考文献
※ 『式内社調査報告』310頁 式内社研究会・編/昭和60年 皇學館大學出版部・発行
※ 石川県神社庁HP内 天日陰比神社天日陰比神社

2 所感

 天日陰比神社論社は2社で、そのうち(A)中能登町二宮の論社は複雑な経緯を持つ。もともと当社は能登国二宮伊須流岐比古神社 (中能登町石動山)の下社であったが、芹川にあった天日陰比神社を相殿とした。のちに石動山上の伊須流岐比古神社上社が隆盛になったこともあって、下社は天日陰比神を主神とする神社に変化した、という経緯である。『能登志徴 上編』によると、「上代は高山の上に神社を置事はなく、白山などの如く遥なる麓に社を置たり」という。

 (A)社の天日陰比神についてであるが、里に伝わる話として『能登名跡志』に「其昔天子に唖の姫宮ありしが、此石動山へ籠り給ひしを祭り奉りし御神体也」とあるが、『能登志徴 上編』ではその話を「元より処の里諺にてみだりごと」として否定している。

 また石川県神社庁HP内の項目天日陰比神社によれば、「社殿後山の大御前峰社は以前天日陰比・(あめひかげひめ)神をまつり、又羽咋郡市及び七尾鹿島郡市の雨乞所であった。中御前峰社は崇神天皇及び印色之入日子命の御陵墓であったと伝へられている。辛酉61年目毎に羽咋、鹿島両郡の諸難退散祈願祭を斎行している。」となっている。やはり雨乞にご利益のある神のようだ。また、皇族の御陵墓があったと伝わることは、皇室との関係を示すものか。それに諸難退散にも利益があるのだろうか。

 ただし、現在では当社の祭神は、屋船久久能智命・大己貴命・應神天皇となっている。天日陰比神を屋船久久能智命と同一視することにしたのだろうか。こういうことは、やはり現地で神職に聞き込みをするのが一番である。しかし、なかなかそこまで踏み込めない。


 (B)天日陰比神社 (中能登町西馬場)では、由緒に変遷が見られず、初めから雨乞い社だったようだ。『式内社調査報告』が引く昭和18年の神社明細帳では、「人皇六十二代円融帝の御代、源順能登国守タリシ頃ハ国幣ノ御祭典アリ、旱魃ノ時ハ能登一群ノ祈雨祭を執行シ、一群挙ツテ尊敬ノ神社ニシテ、世俗雨ノ宮ト称シ」とある。周辺の雨乞いをつかさどる神社であったらしい。また、『能登志徴 上編』に「此山の姿自然に亀二つの姿にて御座候。」とあるが、これは雨の宮古墳の1号墳と2号墳のことであろう。昔は古墳と認識されていなかったのだろう。


 以上から総合して、天日陰比神を観念すれば、雨乞いに利益があって、皇室と深い関連を持つ姫神ということになる。
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